時代のアイコンとなった人物たちをON!

アメリカの伝説的フォトジャーナリズム雑誌「ライフ」から、
スクリーンスターズが象徴的な写真を抜き出してプリントしたフォトTシャツ。
その人気シリーズの、ビギンマーケット別注がコチラの「THE ICONS」です。
20世紀を代表する各界のカリスマ的ヒーローをプリントした、オーバー30にとっては確実に胸熱なコレクションかと思います!

 

写真のチカラで
アメリカの思想や言論を表現した

1936年から2007年まで、アメリカで発行されていた伝説的な雑誌。文章ではなく写真を中心とした報道・言論を志向する「フォトジャーナリズム」というスタイルを確立したメディア。第二次大戦前から戦後復興期、テレビの本格普及前までが黄金期で、アメリカの思想・政治・外交を世界に伝えた。

(1961-)

エディ・マーフィ

コメディタッチな立ち回りは天下一品

16歳からコメディアンとして活動し、1982年に『48時間』で映画デビュー。1984年公開の初主演作にして代表作『ビバリーヒルズ・コップ』が大ヒット。デトロイト警察の問題児、アクセル・フォーリーが高級住宅街のビバリーヒルズで躍動する刑事活劇で、もともとコメディアンらしい軽妙な立ち回りが受け、一躍スターダムを駆け上がった。1987年に『ビバリーヒルズ・コップ2』、1994年には『ビバリーヒルズ・コップ3』が公開。日本語の吹き替え版も秀逸で、お茶の間で人気を博した。

(1980-)

マコーレー・カルキン

早熟すぎた天才子役

1990年、主演映画『ホーム・アローン』が世界中で大ヒット。家族が出かけるなか自宅に取り残されたケビン少年が、留守を狙った空き巣コンビと繰り広げる痛快なドタバタ劇に世界が熱狂。“世界一有名な子役”として、当時のギネスブックに認定された。続編『ホーム・アローン2』も大ヒットし、天才子役の名をほしいままに。しかしマコーレーの資産をめぐり、1995年から両親が裁判を開始。ストレスから10代にして重度のアルコール依存症を患うなどの苦難もあったが、現在は回復している。

(1869-1948)

マハトマ・ガンディー

武力や暴力に頼らず
自由を求めて闘う

イギリスからの解放運動を指揮した、インド独立の父。暴動やゲリラ戦の形をとるものではなく、「非暴力、不服従」を提唱し、自由を希求したことで知られる。1947年、イスラーム教徒に寛容なガンディーの排除を図った同じヒンドゥー教徒の原理主義者によって銃殺され、人生を終えた。なお、彼の誕生日にちなんでインドでは10月2日が「ガンディー記念日」という国民の休日となっているが、2007年の国連総会でこの日を「国際非暴力デー」とすることが決議された。

(1928-1967)

チェ・ゲバラ

革命に生涯を投じた
反体制のシンボル

アルゼンチン生まれの政治家・革命家で、ラテン・アメリカにおける最初の社会主義革命「キューバ革命」を主導した。以降、反体制のシンボルとして現代に至るまで大きな影響力をもつ。キューバ革命の後、1965年に『決別の手紙』を残して当地を去ったゲバラは、次の改革を目指してアフリカのコンゴに。その後ボリビアに移りゲリラ戦で戦うも、1967年に捕らえられ、39歳でこの世を去った。ちなみに、名前の「チェ」は本名ではなく愛称。

(1929-1968)

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

伝説となった
「私には夢がある――」
の名演説

「キング牧師」の名で知られる、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者。「I have a dream」から始まる演説はつとに有名。1964年、ノーベル平和賞を受賞。アメリカの人種差別の歴史を語るうえで最も重要な人物の一人で、インド独立の父、マハトマ・ガンディーに啓蒙され、徹底した「非暴力主義」を説いた。1968年の遊説活動中、メンフィス市内にあるモーテルのバルコニーで凶弾に倒れる。その墓標には「ついに自由を得た」との文言が刻まれる。

(1928-1987)

アンディ・ウォーホル

ナナメに社会を眺めた
“視点”のアート

アメリカ「ポップ・アート」の旗手。キャンベル・スープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品を描き、ポップ・アートというジャンルを生み出した。ドローイング、シルクスクリーン、写真、彫刻などのほか、ロックバンドのヴェルヴェット・アンダーグラウンドのプロデュースや映画製作も手掛けるなど、そのフィールドは多岐にわたる。1970年にはライフ誌の「1960年代にもっとも影響力のあった人物」に選出された。1987年、心臓発作により58歳で逝去。トレードマークの銀髪は、実はウィッグだった。

(1917-1963)

ジョン・F・ケネディ

清濁併せ吞んだ
スタイル・アイコン

米国の第35代大統領。在任期間は1961~1963年。ニューフロンティア政策を推進して社会福祉の充実、人種差別の廃止などを目指した。対外的には、キューバ危機を乗り越え、ソ連首相と会談するなど、協調外交を展開。宇宙開発にも積極的で、アポロ計画を推進。在任中に雑誌『GQ』の表紙を飾ったり、マリリン・モンローらと浮名を流したりと、アメリカを代表するスタイル・アイコンに。1963年、テキサス州ダラスで銃撃により暗殺されるというショッキングな死を遂げた。

(1942-2016)

モハメド・アリ

トップアスリートにして
反戦・反差別の先導者

元WBA・WBC統一世界ヘビー級王者。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」という言葉に象徴される、ヘビー級としては画期的なアウトボクシングを展開。また、ベトナム戦争への徴兵を拒否するなど、反戦的な姿勢を貫徹。さらに米国の構造的な階級差別と人種差別を非難し続けるなど、リング外での闘いも大衆の心を打った。2005年には、「オットー・ハーン平和メダル」(独)、「大統領自由勲章」(米)を受章。引退後、現役時代の死闘によるダメージが原因とされるパーキンソン病を患い、2016年に死去した。

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