装い今昔物語
LaLa Beginの提案する「ボーイな女」って? 昔の雑誌からその歴史を紐解きます!
不変のファッション雑誌に投げキッス♡
いであつこ
仏・イボルンヌ大を首席で卒業。平成服装女子学院トレンドマスコミ学部准教授。服飾誌研究家として活躍中。コラムニストのいであつしとは双子の兄妹。
ほぼ4年間にわたって、アイビー、プレッピー、ハマトラ、サーファールック、ニュートラ、シブカジ、DCブランド、オリーブ少女、フレンチアイビー、スーパーカジュアル、ウラハラ、エトセトラエトセトラ……。様々な装いを当時のファッション雑誌から紐解いてきましたが、最終話は、「ボーイな女」にも多大な影響を与えた代表的なファッション雑誌の歴史を紐解いてみましょう。
ボーイな女には欠かせないアイビースタイルを、日本の若者に広めたファッション誌が『メンズクラブ』です。通称「メンクラ」といって、1954年に婦人画報社(現ハースト婦人画報社)から『男の服飾読本』という名で創刊されました。『VANヂャケット』の石津謙介さんが創刊当時から関わってアイビーを大きく取り上げ、VANと共に日本にアイビースタイルを定着させたのでした。
多くのファッション業界人に影響を与えたレジェンド雑誌といえば、1975年に読売新聞社から発売された『メイドインUSAカタログ』と、その編集スタッフであった石川次郎さんや松山 猛さんによって1976年にマガジンハウスから創刊された『POPEYE』です。
女性ファッション誌は、隔週刊になった頃の『an・an』からよく紐解きました。この時代のアンアンは80年代のトーキョー発信のファッションとカルチャー情報を頻繁に特集していて、いま読んでもとても刺激的です。一方で、80年代のコンサバファッションをけん引した女性フアッション誌が『JJ』です。ハマトラやニュートラ、サーファ―ルックなど、「JJガール」と呼ばれて80年代の女子大生やOLのファッション指南書として人気でした。
『LaLa Begin』は、『Begin』の兄妹誌として2014年に初めて発売されました。メンズクラブから生まれた兄妹誌が『MCシスター』、POPEYEから生まれた兄妹誌が『Olive』のように、いつの時代にも「シティボーイ」や「ビギン君」など、読者のスタイルからトレンドが生まれるメンズ誌からは必ず兄妹誌が創刊されるのです。
兄妹誌ということもあって創刊時は、MCシスターなら「アイビーガール」、Oliveなら「シティーガール」を提案しています。やがて雑誌の知名度と共に独自のスタイルを提案して発行部数を伸ばして人気雑誌になっていきました。LaLa Beginも然りです。『バトナー』のニットに『シオタ』のデニムに『パラブーツ』のミカエル。いまやこんなスタイルが「ボーイな女」なのです。
残念ながら今の時代は雑誌が売れないと言われて、ファッション雑誌も次々と休刊になっています。とはいえ、原宿にできた『ハラカド』には創刊号のan・anなど昔の雑誌を揃えた図書館がオープンし、神保町の古書店『マグニフ』には、昔の雑誌をディグしに世界中から若者が訪れます。まだまだ雑誌の未来はありそうです。今回をもちまして私、いであつこは五輪も閉幕して静かになったパリに戻りますが、最後に、不変のファッション雑誌に投げキッス♡
(おせっかいな)ファッション用語辞典
原宿のハラカド
原宿の神宮前交差点に2024年4月に新たな原宿の文化発信のランドマークとしてオープンした、60年代~からの雑誌を揃えた図書館「COVER」や、銭湯、レストラン、フードマーケットなどが入った話題の複合商業施設。
神保町のマグ二フ
本の街神田神保町にあるファッション雑誌を主に扱う古書店。ヴィンテージマガジンブームの火付け役で、お洒落な店主・中武さんセレクトのセンスの良さでファッション業界をはじめ多方面から人気がある。
ファッション雑誌に投げキッス♡
元ネタは『POPEYE』の1984年9月25日号「この秋、めいっぱいに男前」のパリ取材ページのタイトル「不変のパリに投げキッス!」。パリジャンのスナップやショップなどフレンチアイビーの特集号として知られている。
※掲載内容は発行時点の情報です。
[LaLa Begin 2024年 AUTUMN号の記事を再構成]text : Atsuko Ide comic : Takahiro Shimada