Begin Market(ビギンマーケット) COLUMN ARTICLES 「介護」の日常を本で届ける。一条 道さん×あまのさくやさん【前編】

2023.12.20

止まり木観測 ~オトナプロフから見えた、100人のワークインライフ~

「介護」の日常を本で届ける。一条 道さん×あまのさくやさん【前編】

編集部が「なんだか気になる働き方、生き方をしている」人と出会い、その人自身の生活の“止まり木”、より所について深堀していくこの企画。

子どもの頃に遊んだ「プロフィール帳」の大人版、“オトナプロフ”なるものを使って、これまでの人生についてあれこれ伺っていきます。

第2回目にお呼びしたのは、身近な人の介護について雑誌や書籍を通して発信している、編集者の一条 道(いちじょう・みち)さんと絵はんこ作家でエッセイストのあまのさくやさん。前編では、お二人の介護経験や表現するきっかけなどについて話を聞きました。

父と母、どちらにも病気があり、30代前半で介護の道へ

一条さんは介護に向き合う人たちの日常や、介護のキホンなどをまとめたzine『かいごマガジン そこここ』、あまのさんはご自身の介護について綴った書籍『32歳。いきなり介護がやってきた。』を出版されています。実際に自分が体験した“かいご”をもとにそれぞれに表現をされてきました。お互いの存在は知っていたものの、今日が初対面というお二人に、プロフィール帳を見ながら、それぞれ気になることを質問していただきました。

一条さん:あまのさんははんこのzineを出されていますが、介護については書籍での出版なのですね。

noteでの介護連載をまとめた書籍『32歳。いきなり介護がやってきた。』

あまのさん: noteで介護についての連載を持っていたのですが、この本はそれらをまとめたものなんです。幻冬舎×テレビ東京×noteの「#コミックエッセイ大賞」で準グランプリをいただいて、運よく書籍化までしていただきました。

一条さんがお母様の介護を始めたきっかけは、お父様が亡くなられたことなんですか?

一条さん:私が35歳のときに父が他界したのですが、もともと母には持病があって、母の介護を父がしていました。父が亡くなったことで、私が代わりに母の介護をするように。ほんとうに生活がガラッと変わりましたね。

編集部:そこから介護のzineづくりをしていくわけですよね。

『かいごマガジン そこここ』1号(左)、2号(右)

一条さん:以前は雑誌の編集の仕事をしていたんですが、なかなか大変で一時、編集の仕事から離れました。ただ、スキルは持っていたので、自分の好きなことや興味のあることをまとめたzineはつくってみたいなと思っていました。介護生活が4年くらい経ったころ、介護をテーマにしたzineならできるかもと思い、制作したのが『かいごマガジン そこここ』です。

介護は自分にとって一番身近だったし、悩みの種でもあったのですが、一方で誰も扱っていない世の中的にいうと繊細なテーマでもありました。本屋さんに行っても、「認知症を予防しましょう」というものが多くて、すでに家族の介護をしている人向けの雑誌や書籍はなかったんです。それなら自分でやろうと。するとコンテンツがいろいろ浮かんできて、まずはスクラップブックをつくることにしました。

画用紙でつくったスクラップブック

編集部:スクラップブックがすでに作品みたいです。参考にしたものはあったのですか?

一条さん:イラストレーターの大橋歩さんが創刊した『アルネ』という雑誌(現在は終了)です。別冊『アルネのつくり方』に載っていた、「つくりたい冊子があったら、まずはいろんな雑誌から切り貼りする」と言う方法に倣って、画用紙を買ってきてつくりました。楽しそうな雰囲気にしたいなと思ったので、表紙はイラストにしようとか、対談を入れたいなとか。しかも、当初やりたいと思っていたことが結構叶ったんです。スクラップブックの表紙にはアーティストの平山昌尚さんのイラストの切り抜きを貼っていたのですが、実際にzineを形にしたときに、平山さんにお願いできて、それがすごくうれしかったです。

あまのさんはどう介護に関わっていったのですか?

一条さん(左)、あまのさん(右)

お二人ともの過去の、人生のビッグイベントが親の死と向き合うことでした。

あまのさん:私が32歳のときに母がガンになって、父はすでに若年性認知症と診断されていました。父の介護の心配もあるけれど、母のガンがステージ4だったことがとにかくショックで。

実は当時、プライベートでも婚約破棄をしたりして、何かを書かずにはいられなかったんですね。最初は誰に見せるでもなく、とにかく吐き出すために書いて。母が亡くなった後、仕事も手につかないような状態になってしまって、父の介護しかできない…となったときに、改めてこのことをちゃんとかたちにしたい、発表したいと思うようになりました。はんこ作家としてはすでに個展などをやっていたので、その際に置く本を一冊つくろうと。最初は介護について書くことにすごく勇気がいりました。30代前半のときに、父親が認知症だとか言っている人は周りに誰もいなくて。

一条さん:わかります! 私も32歳くらいのときに父にガンが見つかって。しかもそのとき母親も病気で。あまのさんもお母様がガンで、お父様が認知症だったわけで、状況がすごい似ているなと。片方だけだったら、まだこちらの負担もそこまでじゃないと思うんですが、両方をケアしていかなきゃいけないとなると……。お母さんの介護もされたんですか?

あまのさん:ガンが発覚してから1年半くらいで亡くなってしまったので、母の介護というのはそこまでしていないんです。ただ、母がいなくなったことで、父の認知症の介護を娘の私がやらなくては、というふうになって。一条さんはご兄弟っていますか?

一条さん:姉がいます。父は医師から余命2ヶ月と宣告されたため、自宅で看取ることにしました。姉は結婚して家を出ていたのですが、なるべくこちらに来て家のことをやってくれました。みんなで少しずつ協力してって感じで。病気の母のことがあるから、病院に父を入院させてしまうと、お見舞いに行けないんですよね。それなら父は自宅で介護しようと。痰の吸引だとか、点滴は看護師さんに教えてもらい、家でもできるようにしました。当時、編集アシスタントのバイトをしていたのですが、父の看病のことを伝えると、すぐに長期の休みをくれて、それもありがたかったです。

あまのさん:お父さまは24時間体制の介護だったんですか?

一条さん:そうでもないです。寝たきりになってしまったので、床ずれにならないように体位交換とか、おむつを変えたり、点滴を変えたりはしていました。あとは訪問の先生が毎日来てくれていましたね。大変だったんですが、もうこのときの介護の日々って、私にとってめちゃくちゃいい思い出なんです。黄金色の2ヵ月という感じ。だからこそ、もっとみんなができたらいいのになと思ってしまいます。

あまのさんは、兄弟はいますか?

あまのさん:兄と弟がいます。兄が私の4つ上で、弟は9つ下なんです。父と一緒に住んでいたのは私だけだったし、やっぱり女性というところで、介護の比重って男性より重くなりがちじゃないですか。押し付ける雰囲気は全然なかったんですけどね。だからこそ母は私のことをすごく心配してくれていて、自分としても兄と弟に不満を残さないようにしようと意識していました。それもあって、介護はシフト制にしていました。うちの父は徘徊しないタイプだったのですが、3食の見守りは必要。じゃあヘルパーさんに来てもらおうとなって、朝のデイサービスの送り出しは誰々が担当で……と色分けした紙をつくっていました。

父は今施設にいるので、在宅介護をしたのは実質半年くらい。父を施設にお願いすることも事前に兄弟間で相談して決めていました。

とにかく“書かなきゃ”しんどい! 表現することがストレス発散に

編集部:介護で忙しいなか、ブログを書いたりzineをつくったりという時間はどのように確保していましたか?

あまのさん: 1日の空いている時間に書いていました。私は岩手県に住んでいるのですが、父は東京の施設に入っているので、東京に来たときは面会に行って、そのときに感じたことなどを書くようにしていましたね。

一条さん:時間がないとか忙しいというのは、表現活動においてそんなに関係ないんじゃないかなと思っています。さっきあまのさんもおっしゃっていましたが、書くことが吐き出す作業なんですよね。私も同じで、zineをつくったときは、我慢しているいろいろなことを書き出したいという気持ちがあったと思うんです。1号目をつくるのは大変でしたが、2号目はすごく楽しかったです。仕事をしながら週末や夜に作業したり、大晦日にもzineの制作をしていましたが、全然苦痛じゃありませんでしたから。

一条さんにとって自分のzineは大切なたからもの

後編では、介護についてzineや書籍で発信することで、ご自身の世界がどのように変わったか、最近の活動状況など伺いました! お楽しみに。

かいごマガジン そこここ:https://www.instagram.com/sokokoko_kaigomagazine/
あまのさくや:https://www.instagram.com/sakuhanjyo/

写真/西あかり 文/大芦実穂 イラスト/斉藤知子

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